実を言うと幼少期ほとんど学校に行っていない。原因はアトピー。
どこに行ってもアトピーをからかわれ、「汚い」といじめられる。
顔や身体にできた発疹は私の青春を台無しにした。だけど母もきっと辛かったと思う。「ママのせいでアトピーがうつったんだ」と泣いた時は母も泣いた。
「ごめんね。キレイな身体に生んであげられなくてごめんね」
そう言いながら私を強く抱きしめた。
学校に行かなくなってから母は仕事を辞めた。その代わり、アトピーに良いとされる病院を探し回っては私を連れていった。北は北海道から、南は博多まで。あるときは「アトピーが治った」と口コミのある神社に参拝に行き、高額な御守も買った。神社の境内でゆっくり手を合わす。アトピーは治ると信じた。治してくれ、と祈った。それでも思うような効果が得られず、ふたりでひどく落ち込んだ。そんな私たちを見て「人は見た目じゃないよ」と伯母がファンデーションたっぷりの顔で言う。どんな治療薬も、どんな言葉も、私には効かないように思えた。
しかし転機が訪れた。二十歳のとき、母が突然会社員になった。職種は化粧品開発だと言う。
「あなたのアトピーを治したい」
母の言葉に確固たる信念を感じた。しかしそれは苦難の道のりだった。何せ開発者に休みはない。いろんなデータを集め、テストにテストを重ね、ようやく商品化されたのは二年後。いつしか母のアトピーは私より酷くなり、顔中に疲労の色が滲んだ。
「いい化粧水ができたわよ!」
ある時母が部屋に飛び込んできた。何やら無添加の化粧水だという。当時はまだ『無添加』が注目を集めてなかった時代。私もどこか半信半疑だった。
しかしこれが意外にも功を奏す。
乾燥でパサついていた肌が徐々に潤いを取り戻し、みるみるうちにツヤが戻った。だけど本当に取り戻したのは笑顔だった。
「ママ、ママ!見て!治ってきた!」
私はアトピーの薄くなった頬を母見せた。母も嬉しそうに見つめた。
「これでまたいろんなことにチャレンジできるね」
母のまなざしは私の未来を見ていた。
翌月にはフリースクールの見学に行き、美容室にも行った。これまではアトピーを隠すためどうしても髪を切ることができなかったが、今はちがう。隠さなくてもいい。隠す必要なんてない。美容室を出た時の空はいつもより一段と青かった。
無添加化粧水のおかげで私は大きく変わった。これまでアトピーは『かゆい、汚い、気持ち悪い』の3Kだと思ってきたが、違う。『キレイ、カワイイ』に『変えられる』んだ。そう教えてくれた母には感謝しかない。自分のアトピーが酷くなっても「いい化粧水、できたよ!」と笑った母。アトピーが痒くて眠れない時も一緒に起きていてくれた母。いま思えばアトピーに効く一番の無添加は、母の愛、だった。
あれから二十年。無添加商品は、食べものから入浴剤に至るまで数多くラインナップされている。母も化粧品会社を定年退職し、いまやっと自分の治療に専念できるようになった。そうは言っても母のアトピーは一筋縄ではいかない。お風呂に入ろうにも入浴剤は禁物だ。温泉にも行けない。先日通販で無添加入浴剤を見つけ、母にプレゼントをした。アトピーでも安心な、ちょっと高価な入浴剤だ。これまで私のために奔走してくれた母にはお風呂でゆっくり羽根を伸ばしてほしい。そして笑顔になれたら、もっと、いい。
「おふくろ」の「く」をとるお風呂だから、きっと、母を笑顔にしてくれるはず。
いまはそう信じている。
寸評
お母様の懸命な努力と愛情が伝わる作品でした。努力が実り、明るい未来へ。同じようにアトピーで苦しんでいる方々の希望になる作品だと思います。