生後間もない赤ん坊を抱え、私は途方に暮れていた。赤ん坊はさきほどからいっこうに泣きやまない。授乳しようとしても、いやいやと顔を背ける。3kg余りの体重がずっしり重い岩のように腕に食い込んで、腕がしびれた。
わが子が可愛いのは当たり前だが、それでも、子どもを産んで初めて、ストレスから幼児虐待に至る人の気持ちが少し分かったような気がした。いったいどうやったらお乳を飲んでくれるのだろう。寝不足にめまいが加わり、ぼおっと気が遠くなった。
その頃の私の悩みは、子どもがお乳を吸いたがらないこと。これに尽きた。私のお父はそんなに美味しくないのだろうか。ある日、意を決した私は、マグカップに搾乳して飲んでみることにした。それは何とも言えない味だった。しいて言えば、アルコール分が飛びきっていない甘酒のような味だ。
次の日にも飲んだ。今度は、えぐみのあるポタージュのような感じ。毎日舐めていると、味が確実に変わっているのが分かる。それもそのはず、母乳は私の食べた物で出来ている、いわば私の血液の一部なのだから。
母乳が甘酒のような味のした日、私はスナック菓子をむやみに食べていた。さぞ、合成着色料や甘味料がたくさん入っていただろう。ポタージュのような味がした日、私はファストフード店のハンバーガーをやけ食いしてしまったっけ。
そうやってふり返ってみると、その日食べた物と母乳の味は、如実につながっているのだった。育児の多忙を言い訳に、適当にその場しのぎの食べ物を口に入れて、とりあえずお腹がふくれればよいと思っていた。私は、わが子にごめんね、と思った。
母乳は、私自身が食べた物で出来ている。私は初めて無添加の自然食品の店をたずね、話を聞いた。今までいかに無意識に、食品添加物を口から入れていたのかを思い知らされた。安かろう悪かろうでは元も子もないと思い、少し値が張っても、無農薬野菜を買い求め、調味料の成分にも気を配った。
ジャンクフードやコンビニの味にどっぷり浸かってきた世代としては、正直に言えば、最初は、その薄ぼんやりとした味が物足りなかった。しかし、時間をかけてゆっくり味わってみると、じんわりとした滋味あふれる美味しさが分かるようになった。そうして、麻痺していた舌がいったんリセットされると、もう、添加物だらけのものを受け付けなくなっていた。
その頃、もう一度、搾乳して自分のお乳を飲んだ。子どもの頃よく食べていた、乳ボーロに似たような、ほんのり甘い玉子の味がした。わが子は、見違えるように、母乳をごくごくと飲んでくれるようになり、それに伴って夜泣きの数も減った。食べ物が変わったためか、以前は自分でもコントロールできなかったイライラが、比べものにならないくらい鎮まっていた。私はほっと一息つくとともに、生まれて間もない赤ん坊に備わった、本能的な味覚センサーの鋭さに驚かされた。
食べ物は、間違いなくその人自身を作っている。これから子育てしていく上で、食べる事をおろそかにしないようにと思っている。
寸評
おっぱいの味が、食べ物や飲み物によって変わるとは、目から鱗! ご自分で試される好奇心が素晴らしいです。純粋無垢な赤ちゃんは、味覚が正常だから、不自然な味を避けるのですね。赤ちゃんにお乳を無理やり飲ませるのではなく、飲まない理由を探り、食生活を改善する姿勢に、愛情を強く感じました。