朝三時目覚め、四季を通して若干の差はあるが、四時半には野良に起っている。これが爺サマの生活リズム。朝早い分夜も早い。夕方五時就寝。普通のお人とは四、五時間の時差。地球の裏側のガイジンみたい。誰もつき合えない、つき合いたいとも思わない。
哲学者カントの散歩時間は毎日一秒と狂わなかった。附近の住民は彼の足音を聞いて時計の針を合わせたと言う。毎朝四時半野良に起つ私の姿を見て時計の針を合わせた人には未だ出会っていない。今時の時計は正確だから針を合わせる必要がないのかも……。
余談はさておき、日の出前の早朝の空気は中山間地と言うこともあって酸素ばかりのようでうまい。空気がうまい。朝の空気は無添加だからである。空気のうまさを知っている奴が他にもいる。小鳥達だ。野良に起つと毎朝一秒と狂いなく鍬先へ舞い降りる小鳥が一羽いる。西洋の諺に「小鳥は亡き人の魂」がある。早逝した妻の魂だと思うと余計に可愛らしい。いやらしい肉欲の愛ではない。無添加の愛なのである。誠意は小鳥にも通じるものらしい。首を三百六十度回して三回挨拶する。小鳥の言葉はわからないが、オハヨーかも。中国語のニイハオかも。インド語のナマステかも。ロシア語のズロースイイッチョーかも……。ちょっと妖しいが……。太陽が顔を出すと同時に帰宅する。熱中症にやられた経験があるからである。
私の作る作物はスーパーには並んでいない高級物?ばかりである。キューリもナスもトマトも曲がりくねっている。不恰好この上なしの代物ばかりである。白菜など網目ばかりの有様、虫に半分以上食べられてしまう。何故かなれば、無農薬、殆ど無肥料、無添加作品だからである。虫がひとつもかじっていない白菜など農薬の漬物なのである。格好いい作品はすべて有添加なのである。虫のついた農作物なら絶対安心、格好悪い虫食いの野菜を食べるように言っているが、そんな高級品?スーパーに売っていないからどおしょうもない。農薬の漬物喰らっている高級消費者を哀れに思うが、お節介と言われればその通りだ。格好いいのは女だけでいい。他は格好悪い方が、農作物に関する限り味は抜群であることを知って欲しい。無添加は無限の味を楽しめる物であることを生産者は知りつくしている。全部形の整った大根の脚線美より、太くて短い丸々の不格好の大根の方が無添加の味を蓄えている。無添加とは限りなく格好悪い物である。スーパーの店先に格好悪い果物が並んでいる。店の主人に「これ何じゃ?」と聞いたら「ヨーナシ」だと答えた。「俺のことが?」と聞いたら「ソージャ」と答えた。用無しの爺サマ、これ以上物申すことはございません。清聴アリガトウ。