ナチュラルがいい(静岡県・末永文彦さん)

戦前生まれの戦後育ちにとって、今は食べ物の海の中を泳いでいる感じがする。食べたい物は、何でも手に入る。しかも、野菜や魚、肉や加工食品など多くの食品が、色も形も整ってきれいだ。人間にたとえれば美人揃いといっても過言ではない。

色も形も整った野菜が出回るのには訳がある。野菜をフリーマーケットに出している人の話では、色や形の悪い野菜は売れ残り、売れ残った野菜は、自分で引き取りにいかなければならないそうだ。更に、店側から、「格好のいい野菜を出してほしい」と注文をつけられるそうだ。だから、農薬を使い、病虫害を防いでいるという。野菜を大量に出荷する農家は、散布する農薬の量の基準にそった野菜を出荷している。見た目がいい物を好む消費者の要求に応じて、農作物を栽培しているということだ。

これと、同じようなことは、魚や肉、それらの加工食品についても言える。

女房が、買ってくる魚の切り身は、本来の色と違って、すこぶる綺麗である。味も親しみやすい味に加工されている。添加物で処理されているのがよく分かる。けれども、自分は気に入らないから、女房に、「見た目はよくなくてもいいから、自然のままの切り身を買ってきて」と注文する。ところが、「今は、そういうのは売られていない」とくる。

農作物と同じように、魚や肉についても消費者は、見た目で善し悪しを決めるようだ。

このような消費者の欲求に応じた野菜や食品だけが、店に出されているが、どうしてもついて行けない。子供の頃は、無農薬の野菜を食べ、そのおいしさを舌が覚えているからだ。それで、自家菜園で、無農薬野菜を栽培している。色や形はお粗末だが、本来の野菜の味がする。農薬を使って育てた農作物は、かすかに苦みや辛みを感じる。おいしいとは思えない。魚も、一匹丸ごとの魚は、嫌な味を感じることは少ない。そういう魚はおいしいと思う。

しかし、残念なことだが、一般的には、無農薬や無添加の食品を手に入れることは、困難な状況になっている。

こうした状況では、懸念されることがある。

農薬と農薬、添加物と農薬、添加物と添加物のそれぞれに使用されている化学物質の間に化学変化が起こって、その物質が人体に悪い影響を与えるのではないか、ということだ。

例えば、残留農薬が残っている野菜を食べ、同時に添加物が混じった食品を食べた場合、それぞれに含まれている、化学物質が反応して、人体に有害な物質が生成されるのではないか。

厚生労働省の調査によれば、五十年前までは、食物あれるぎーは、ほとんどなかったそうだが、今は国民の三分の一が何らかのアレルギーを持っているという。アレルギーが起きるのは、蛋白質が関係していて、その蛋白質が変質するからだそうだ。だが、蛋白質が変質する原因についての研究はまだ十分されていないようだ。化学について、全くの素人だが、その蛋白質の変質の原因が、農薬や、添加物に含まれている化学物質にあるのではないかと思う。このまま行くと、二分の一以上の国民が、何らかのアレルギーを持つことになるかもしれない。

それを防ぐのは、消費者自身が意識改革をしないといけないが、到底無理のように感じている。それは、食品が本来持っている素朴な味を知らない人が多くなり、今後もそうした人は増えるばかりだからだ。

個人的には、可能な限り、無農薬の野菜や無添加の食品を食べたいと思っているが、これを国民全体に広げていく必要があると思う。

そのためには、無農薬の野菜や無添加物の食品を販売し、同時に食の安全性を強調すれば、賢い消費者は、買うに違いない。それだけに止まらず、多くの消費者の意識改革を促さなければならないから、ネットやツイッターを利用して、食の安全を呼びかけることも必要だ。国策にすれば最善だが、政治家は、どの程度深刻に考えてくれるだろうか。「そんな些細なことに構っていられない」というかもしれない。

これまで、食について述べてきたが、洗剤や香料、化粧品なども、それぞれに含まれる化学物質の相互作用について、検証する必要があると思う。しかし、これからは、化学物質を使わないで、自然の素材を生かした製品を開発しなければならない。人体への悪影響のない製品が開発され、マーケットの店頭に出回るように切に願っている。