「石鹸やシャンプーは、間違って口に入ってしまっても、大丈夫なのか?」小学校低学年の頃、段々1人でお風呂に入り始めるようになった時、ふとそう思った。「無添加」なる言葉が存在する事すら、知らなかった年齢だ。「石鹸って食べ物じゃないよね?口に入ったら?目に入ったら?どうしよう。」まだ、1人でお風呂に入る事に不慣れだった為、石鹸が誤って目や口に入ってしまう事を、ひどく恐れていた。今思えば、不自然な化学物質を体内に取り入れる事に対する、子供なりの本能的な危険の察知だったのかもしれない。兎に角、そういう疑問を抱いた訳だが、まさか、日常的に使われている製品に、口に入れた瞬間に死ぬような劇物が入っている訳がないと思い直し、また、段々1人でお風呂に入る事にも慣れて来て、石鹸が口に入る心配など、わざわざする必要もなくなったので、幼い私の頭に浮かんだ疑問は自然消滅した。
大学生時代、ファミリーレストラン等のドリンクバーで炭酸やジュースを1杯以上飲むと、必ずお腹が痛くなった。流行りのパンケーキや、カラフルなアイスクリームを食べた時も、同様の事が起こった。周りの友人にそんな人はいなかったから、「私の胃腸は弱いのだろうな。」と決めつけていた。
社会人1年目、毎日、会社の近くのコンビニで昼食を買っていた。おにぎり、サンドイッチ、カレー、パスタ、お弁当等々…。月〜金、飽きないように、コンビニの様々な種類の惣菜を購入した。つしか、食べた事が無い惣菜の方が少なくなっていた。ところが、そうやって日々、色々な種類の惣菜を買っていたのに、ある時、「コンビニのご飯は、全て同じ味がする。」と感じた。何故かは分からない。ただ、どの惣菜にも共通して、何かの味がするのだ。だから、コンビニのご飯は、食べ続けると飽きてくる。
意識して、「無添加」について考えるようになったのは、それから1年後のことだった。
社会人2年目の秋、知り合いになった方が、オーガニックな家庭料理や栄養学を教える団体を運営しており、それまで全く料理に縁の無かった私も、「食の知識は、知っていて損は無さそうだし、オーガニックって身体にも良さそうだから、少しやってみるかな。」と、軽い気持ちで、その団体で学び始めた。そこでの学びは、座学と実践のバランスが非常に取れていて、素材を活かした簡単なオーガニック料理だけでなく、なぜオーガニックが良いのか、なぜ添加物を出来るだけ避けるべきなのか、非常に理論的に、教えて下さった。
その時から、私が今まで抱いた疑問が一挙に解決した。石鹸やシャンプー等の日用品には、化学物質が沢山含まれている。出来るだけ、添加物の少ない製品を選ぶ事が、肌本来の力を発揮する為に必要だ。ジュースやアイスクリーム、お菓子等には、大量の砂糖や人口甘味料が含まれており、それらの摂取による胃腸の不調は、正しい身体の反応だ。甘味料は、ハチミツやアガベシロップなどの自然な甘味料を使うのが望ましい。そして最後に、コンビニのお弁当。私が、コンビニのお弁当を「どれも同じような味がする。」と感じたのは、化学調味料によるものだ。どの惣菜にも似たような化学調味料が使われている為、どれも同じような味に感じるのだ。
こうして、私の無添加ライフは、長い潜伏期間を経て、本格的に始動した。「無添加」な食生活を始めた事によって、素材本来の美味しさや、季節ごとの味わいに目を向けるようになった。また、資本主義一辺倒の社会や、大量生産・大量消費の弊害について、思いを馳せるようになった。私にとって、「無添加」との繋がりは、日々頂く命との繋がりであり、地球や社会との繋がりである。