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甘くておいしいお茶(千葉県・やすべえさん)

 定年になり、父の実家の管理で高知に帰って来た。妻から解放され少しの間は、自由の身だ。すっかり荒れ果てたミカン畑を見て回る。子供の頃には水田だった場所が、いつの間にかミカン畑になり、今では、山に戻ろうとしている。鎌で草を刈りながら進む。畑の一角に、白い花が咲いている。荒れ果てた畑に咲く花は、輝いて見えた。花を見て感動するとは、これが年を取るという事なのだろう。近寄って驚いた。お茶の花だ。昔から自家用として、何処の家でも畑の片隅に、何本かのお茶の木を植えていた。ほとんど野生に返ってしまった木に、こんなきれいな白い花が、感動した。この花、この葉をお茶にして飲んでみたい。突然にその思いが湧き上がってきた。よし、やってみるか。田舎での初チャレンジ、自分だけの為の仕事をしてみよう、やる気が湧いて来た。

 家の中を片づけながら、庭をきれいにして、お茶の葉を干す場所を作る。納屋をひっかき廻して探す。あった、円形の平たい竹かご、直径で1メートルぐらいある。これに葉を載せて干せばいい。これも納屋にあった背負いかごを持ち、早速茶摘みだ。柔らかい新芽の所を摘むのだろうが、量が少なくなる。花と葉も固い葉まで摘み取る。1時間で籠が一杯だ。竹ざるだけでは足りない、ござを敷き、その上に新聞紙を載せ、その上にお茶の葉と花を広げた。高知の日差しは強い。三日でカラカラになった。これからどうする。考えどころだ。台所で、大きなすり鉢と、すりこ木を見つけた。やるしかない。血豆がつぶれるまで、一心に擂る。全部粉茶にする。これで無駄にすることなく、全部のお茶を使える。スプーンで口に入れる。苦い、そして少しずつあまくなる。第一段階クリア。

 やはり、お茶を飲むなら水が命だ。田舎なので、水道はない。何処の家も近くの谷川の水を利用する。村中の水を飲み歩く。違う、気に入らない。昔、家で使っていた墓地の上の湧き水を思い出した。水筒を持って山に入る。熱く沸かしたお湯でも、冷たい水のままでも、粉茶が花開く。あまりの旨さに、涙が止まらない。困ったものだ。しかし、これが私の田舎暮らしの不幸の始まりになろうとは、思っても見なかった。

 最初は、清涼飲料水から始まった。口に入れると、薬品の匂いが強くする。コーラは当たり前だが、ジュース、缶コーヒーも飲めなくなった。販売茶ですら、少し抵抗が残る。その内に、牛肉や豚肉も何となく違和感が出始めた。幸い、地元でイノシシやシカが獲れ、そのお裾分けが多い。冷凍庫さえ持っていれば、肉には困らない。野生の動物の肉は、味が濃くてうまい。家畜の肉は全体に味が薄い。舌の感覚が自然に養われたのと、なにが本来の味かという事が、段々に判って来たからではないだろうか。野菜も同じである。特にハウスの中で育った野菜は、野菜独得の味や香りが薄れている。自然な野菜を手に入れたい、その点田舎は便利である。わざわざ自然食品の販売店に行かなくても、自宅用に栽培している野菜をもらってくればよい。農家の人は、農薬の害を知っている。自宅用の野菜は売るわけではない、虫が食っていても構わない、安全を優先する。だから自然食品店の高い野菜を買う必要はない。時々酒を持って行けば、物々交換で済む。

 しかしこの年になるまで、本物のアジを知らなかったとは、恥じ入るしかない。自分の手や労力を使って、お金を使わずに食料を手に入れるようになって、この幸運に出会えた。田舎暮らしも捨てたもんではない。定年後の都会暮らしは、アスレチッククラブや図書館で時間をつぶすしかない。だが田舎での暮らしは、朝日と共に起き、日の入りまで働く。夜は疲れて早々にバタンキュー。自然のエキスを毎日浴び、そしてエキスを食べる。子供時代にはやっていた、遊んで寝る生活、これがベストである。しかしながらある日突然に、コロナの時代がやってきた。どうしようもない。

『康夫さん、東京へ死にに帰るかえ。』

愛妻のラブコールに負け、田舎の無添加イキイキ生活から、東京の添加物まみれのタダレタ生活に逆戻りである。鹿が猪が私を呼んでいる、ヤスベエ、カムバック。

 コロナがにくい。

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